エビデンスで教育を考えた

頭が良くなる科学論文を紹介していきます。

200記事記念に自分晒し〜死生観〜

 このブログが200記事になります。今まで読んでいただいた読者には感謝の念が絶えません。これを気に当ブログをお越しの皆様は、しばし私の自分語りにお付き合いください。
 
 キリの良いときは自分のことでも書こうかなと思い立ったのが100記事目のとき。今回はそれに引き続いてもっとパーソナルな部分を書こうかと思ったのですが、前回は介護の話もあり、思うところがあったので自分の死生感でも書いていきます。
 
 先の記事では介護の未来は明るいと書きました。医療の発達のおかげで我々は疫病などで命を落とすことが極端に少なくなりました。本来の肉体の年齢は40くらいが限界だという説もありますが、現代はその2倍が当たり前、私の老後などは3倍になるとも言われています。ありがたくも、死ぬに死ねない未来を感じさせます。
 
 こういった医療の恩恵はとてもイメージしやすいですが、これからかお世話になるのがテクノロジーでしょう。
 
 もはやテクノロジーの発展に疑いの余地はなく、スマホやAIの進化は加速度的発展と言われています。この進化はデバイスだけでなく、間も無く医学にも応用されるでしょう。(私はお酒を飲むので、肝臓なんかは早い段階で人工になるかもしれません笑。)
 
しかし何事にも完全に良いことだけということはなく、何かしらの負の面があるものです。テクノロジーの負の面は、格差の拡大です。特に、天才や怠け者の見える化です。
 
例えば、バイトテロ。バイトテロが取り沙汰されて久しいですが、あれでうかつにテクノロジーを使ったアルバイトが明るみになりました。逆に、今やインフルエンサーと名乗る人たちには富や名声がものすごい勢いで集中している様に見えます。同じようなことは介護でも顕著になるでしょう。いわゆる老害といわれる人たちが、テクノロジーの恩恵にあずかることで町に溢れるでしょう。ひろゆきさんは若者の暴動を予見しましたが、高齢者の暴動も十分あり得ます。
 
 では比較的アクティブでない高齢者はどうでしょうか。この中には、(不自由なおかげで)家族の世話になって楽をしていたフリーライダーもいるのではないでしょうか。
こういったフリーライダーは、働かなくて済んだはずなのに、これからは嫌でも働くことになるでしょう。「腰がいたくて、、、」が通じなくなる世界が間も無く来ます。良くも悪くもピンピンコロリな老後を迎える気がしています。
 
 前置きが長くなりましたが、個人的には、上のような未来はウエルカムです。できなくなることも増えてくるかもしれませんが、その中で何か新しいことをしていたいのです。なぜなら、私にとって死とは「過去の中で生きること」だからです。同じことをこなし、同じ人とだけ関わり、同じことだけやる。。。過去の中で生活を送ることは時間軸を超えていないと感じてしまいます。この時間軸が止まることこそ死と定義しています。そこに意識のあるなし、魂などは入れていません。
 
 古い知識や常識にとらわれずに生涯学び続ける。新しいものを生み出し続ける。これがいきていることだと心底感じています。